佐藤美晴さんの人気連載、ウィーン便り。激動のヨーロッパから今月も届きました。
ウィーン便り 2021年4月
ウィーンの4月は天気の変化が激しく、中旬になっても雪や雹が降る日もありました。そんな中、春の日差しが少しづつ増えていき、満開の桜が人々を和ませ、オーストリアの国旗の色である赤と白のチューリップが美しく咲き誇り、5月を迎えようとしています。
イースター前からロックダウンが再度強化され、生活必需品以外の店は全て閉店しているものの、多くの人が今は散歩や登山などをして季節の変化を楽しみ、5月3日のロックダウン明けを心待ちにしています。
現在ワクチン接種者数は増えており、1度目の接種を終えた人が若い人でも増えてきました。ウィーンフィルのメンバーが3月中に全員が接種を済ませたというニュースには賛否両論が湧き起こりました。国立歌劇場のオペラのリハーサル現場でも、休憩中の熱いトピックの一つが、ワクチン接種です。
私が現在参加している国立歌劇場「ポッペアの戴冠」はアメリカ、スペイン、ヨーロッパ、中東と、世界中からキャストやスタッフが参加していますが(私は唯一のアジア出身でもあります)、ワクチン接種やコロナ対応の状況が、国によって様々であることがよくわかります。若い歌手にも、ワクチン接種済みの方が増えてきました。
<無観客公演の放映「パルジファル」「タイス」>
劇場や音楽公演が街から消えて、遂に半年が過ぎました。劇場は今も政府からの要請に対応しながら上演変更を続けていますが、5月後半にはいよいよ7ヶ月ぶりに上演予定です。残念ながら、本来はイースターに上演予定だった新制作「パルジファル」は無観客上演となりました。
このプロダクションは出演者にコロナ感染者が出た関係で初日を遅らせることとなり、4月11日に無観客プレミエを迎えました。ヨーロッパ限定で配信はされたのですが、他のプロダクションのようにライブ配信や世界に向けてのインターネット配信はありませんでした。その理由を演出がキリスト教を刑務所に読み替えたことへの宗教的配慮ではないか、と分析する人もいますが、実際の理由は分かりません。私はテクニカルの仕事でこのプロダクションに携わっており、幸いオケ付きの通し稽古も観ることができました。
確かにこれまでのパルジファル上演とは大きく離れた演出でした。パルジファルは、カウフマン演じる中年のパルジファルではなく、俳優が演じる若きパルジファルが多くの場面を演じ、歌手のパルジファルは過去を回想する形で舞台を眺めています。
1幕はアムフォルタス、グルネマンツ、パルジファルらが収容されている重罪犯罪者刑務所に、クンドリ演じる雑誌編集者が取材に来ている、という設定です。クリングゾルはクンドリの上司の雑誌編集長で、クンドリは2幕の最後に彼を殺してしまい、その後パルジファルたちと刑務所に入ることになる、という全く新しいストーリーが重ねられていて、ワーグナーのテキストと乖離したその展開に、私は観ている間に何度もついていけなくなりました。
現在もロシアで拘束されている演出家自身の刑務所での経験と、タルコフスキーの映画「ノスタルジア」を重ね合わせたような演出というのでしょうか、写真や映像を重ね合わせて露出し合成するフォトモンタージュ技法のような不思議な空気感のパルジファルだった、という印象を持っています。
アン・デア・ウィーン劇場では、1月に新制作した「タイス」がやっと4月に公開され、全編がテレビ放映もされました。この舞台はペーター・コンビチュニーによる演出で、本来は私もこのプロダクションに入る予定が、コロナで難しく断念したものでした。
この作品の宗教について描かれた部分は、やはり全く原作と異なる形で、黒い天使と赤い天使として描かれたのですが、こちらは違和感ない読み替えで、人間の愛と欲望について力強く訴えてくるエネルギーに満ち溢れた演出でした。「パルジファル」との違いは、こちらの演出は、その解釈に理解や共感が可能だった、ということです。
「パルジファル」「タイス」と共通していたのは、無観客だからこそできる長さ8メートル以上の巨大なクレーンを使ったカメラワークで、映画のような撮影方法によって迫力ある映像が作られました。このような試みは、コロナ以前にはなかったことで、劇場が挑戦する新しいオペラのあり方の一つと言えるでしょう。
<「ポッペアの戴冠」リハーサル開始>
国立歌劇場の新制作「ポッペアの戴冠」(5月22日初日)から、やっと私自身も本業の演出研修ができることになり、4月からは全ての演出稽古に参加しています。国立歌劇場としては「ポッペア」上演は90年代のカラヤン以来とのことで、久しぶりにこの作品を迎え入れるそうです。
オーケストラはアーノンクールによって結成された古楽器オーケストラの、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスで、このオケが国立歌劇場で演奏することも新しい試みです。指揮は、昨年のN響第九も降ったパブロ・ヘラス・カサド 。キャストも、ケイト・リンゼイ、シャビエル・サバタなど現在大注目の歌手に加え、74歳になる大ベテランのウィラード・ホワイトなど、素晴らしいキャストです。
演出はダンスカンパニーNeedcompany主催のヤン・ローワースによるもので、今回は2018年のザルツブルグ音楽祭での上演を新たに作り直しています。このプロダクションもコロナ蔓延によって制作現場は混乱の日々ではあるのですが、刺激的な稽古場の風景は、また次回以降にお伝えできればと思います。
<旧アルカディア(オペラショップ)にて、衣装展示>
以前お伝えした、オペラ座内にあったオペラ関連ショップのARCADIA、12月のクリスマス前に閉店して以来、空きスペースとなって寂しくしていたのですが、3月より、これまでの劇場公演で使われた衣装展示スペースとして蘇りました。藤田嗣治が1957年に衣装デザインをした「蝶々夫人」(演出Josef Gielen)の衣装も飾られています。
<「ラ・トラヴィアータ」出演奮闘記 2.リハーサル開始と非日常の撮影現場 >
既に2月のことが随分昔に感じられますが、思い出しながら書いていきたいと思います。前回の続きにお付き合い頂ければ幸いです。
さて、1月の衣装合わせを終えて、2月某日「ラ・トラヴィアータ」のリハーサルが始まりました。稽古初日は今シーズンより芸術監督に就任したボグダン・ロシェチッチの司会進行の元、関係者全員がリハーサル会場に一同に介し、演出家によるコンセプト説明が行われました。
今回のプロダクションは2019年にパリ・オペラ座で演出したもので、今後はウィーンとパリとで交互にレパートリーとして上演されていくそうです。演出のサイモン・ストーンはオーストラリア出身の演劇、映像の演出家で、オペラでも既にザルツブルク音楽祭「リア」、バイエルン国立歌劇場「死の都」を演出し、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの演出家。若手指揮者賞を受賞し新進気鋭ジャコモ・サグリパンティと、演出家と指揮者、そして主役のヴィオレッタと皆30代のフレッシュな印象で、新しい才能を集めたプロダクションなのだということが感じられました。
コロナの影響で、どのプロダクションも、隔離期間の不透明さが大きな問題となっており、今回美術家と衣裳家はウィーンに来ることを断念したそうです。また、アルフレード役もカナダからの来欧が難しくなり、宮廷歌手のファン・ディエゴ・フローレスが急遽ジャンプインすることになりました。(その後この「ラ・トラヴィアータ」の初日が延期されてしまい、フローレスはトラヴィアータが開けた次の日に主演の「ファウスト」稽古初日となり、大忙しでした。)コロナによる政府のロックダウンの度重なる延長で、稽古予定、本番予定と、日々変更が強いられているプロダクションですが、皆それにも慣れたように柔軟に対応しています。
基本のリハーサル会場はArsenalという本番の舞台の大きさを持つ広い会場で行われます。ここはかつては武器庫だったエリアで、中央駅の近くにあり、出演者とスタッフは全員が朝コロナテストをオペラ劇場で受けた後にこちらへ30分かけて市電Dで移動してきます。これがとても大変だったのですが、2月の頃は週1回、次第に週2回、週5回とルールが変わり、4月現在は週3回になって、リハーサル会場でもコロナテストできるように改善されてきました。4月になると、結果がすぐにメールで届くようになりました。
今回のプロダクションは、ヴィオレッタはSNSのインフルエンサーという設定なので、多くの場面で映像や写真が使われます。その映像と写真を撮るために、二日間の(本当に特別な!)撮影日が設けられました。劇場を飛び出して、ウィーン内のホテルやクラブを借りて行ったその撮影は通常のオペラプロダクションではあり得ないもので、今回の演出が特別な気合いを入れて作られたものだと実感しました。ヴィオレッタとアルフレードが出会い、ファーストキスをする場面はクラブという設定でしたが、劇場内のオルガンホールの中に照明、スモーク、レールが組まれ、まるで映画のセットでした。
映画Singing in the rainで、映画セットの中で初めて主演の二人が見つめ合う場面のようにロマンチックな仕上がりになっていて、これは本当にトラヴィアータのリハーサルなのかしら?とみんなで笑いました。クラブに行く風のパーティドレスと派手なメイクに身をまとって、音響スタッフによって実際にクラブ音楽がかけられ、そこでヴィオレッタやアルフレード、フローラたちと皆で踊り、ビールを飲みました。この撮影現場は、私としても一生の思い出となっています。
外では雪の降る中、オペラ劇場近くのホテルに行き、華やかなドレスに衣装替え。スイートルームの洗面所、ベット、ホテル内のバー、階段、そしてウィーンの場末のクラブハウスなど、あらゆる場所で撮影が行われました。これは完全に映画撮影のスタイルを取っており、こんなユニークなオペラ制作は、ぜひ舞台裏のドキュメンタリーとして記録して欲しかったです。撮影会場はどこも「ウィーンらしさ」があるところばかりで下が、それもまたトラヴィアータの舞台をファンタジーにするスパイスとなっていたと思います。このような贅沢な撮影ができるのも、しっかりと演出予算を確保しているウィーンならではで、懐の大きさが見えたようでした。